島田雅彦『自由死刑』(集英社文庫)
- 作者: 島田雅彦
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2003/01/17
- メディア: 文庫
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@小説に与えられた重要な役割の一つに、「思考実験」があると思うのだが、
1999年発表のこの作は、その意味で、まさに「贈与というテロ」の実験小説だと言える。
ひとは自由の刑に処せられている、と云ったのは、たしかサルトルだった(よね?)が、
ほんとうに自分で自由に死んでいい、となったら、人はいったい何をするのか。
食欲と性欲と睡眠欲を満たすこと。ただそれだけ?
おそらく、多くのひとは、自分の名前を歴史に残すこと、を考えるだろう。
その手っ取り早いやり方は、犯罪。
だから、記憶されることだけを目的に、社会的な犯罪が起こることもある。
でも、あくまで無名性のままで、匿名の一人の人間として、死ぬ。そんな潔い選択だってある。
この物語の主人公、喜多善男(善男、というと柄谷行人の本名みたいだけど)は、
成り行きもあるのだけれど、一人の抑圧された肉体労働者=プロレタリアートを解放する。
その肉体労働者=プロレタリアートは、じぶんの商品価値を徹底的に利用することで、
じぶんじしんに何ができるのか、そして、じぶんという存在を徹底的に社会から切りはなすことで、
ほんとうにじぶんじしんが欲していることは何かを、つかみとっていく(つかみとろうとする)。
そんな成り行きを、あるいは、じぶんがしでかしたことを、喜多善男は知らない。
知らないまま、匿名の男として死んでいく。
人とかかわっているということは、人知れず、なにかしらの迷惑を与え合っているということだ。
そして、それが、誰かにとって、かけがえのない出会いになっている可能性もある。
それをしよう、自分から作ってやろうとする奴はさもしいけれども。