吉田裕『昭和天皇の終戦史』(岩波新書 ISBN:4004302579)

……わたしたち日本人は、あまりにも安易に次のような歴史認識に寄りかかりながら、戦後史を生きてきたといえるだろう。すなわち、一方の極に常に軍刀をガチャつかせながら威圧をくわえる粗野で粗暴な軍人を置き、他方の極には国家の前途を憂慮して苦悩するリベラルで合理主義的なシビリアンを置くような歴史認識、そして、良心的ではあるが政治的には非力である後者の人々が、軍人グループに力でもってねじ伏せられていくなかで、戦争への道が準備されていったとするような歴史認識である。そして、その際、多くの人々は、後者のグループに自己の心情を仮託することによって、戦争責任や加害責任という苦い現実を飲みくだす、いわば「糖衣」としてきた。
 しかしそのような、「穏健派」の立場に身を置いた歴史認識自体が、国際的にも大きく問い直される時代をわたしたちはむかえている。すなわち、社会主義諸国の崩壊に起因した冷戦体制の解体によって、そもそも冷戦期の産物である「穏健派」史観そのものの見直しが不可避となった。また、アジア諸国との間係も、東京裁判の段階とは大きく変った。東京裁判の段階では、日本の侵略の主たる対象となったアジア諸国は、いまだ独立か建国の途上にあって、その国際的発言力もきわめて小さなものでしかなかった。束京裁判は、これらの諸国の意向をほとんど無視することによって初めて成立することができたのである。


本書が焦点を当てるのは、保守政治家として、ほとんど唯一「負け方」の見通しを持っていた人物としての近衛文麿である。近衛は、その「負け」をめぐるヴィジョンが、あまりにもハッキリしていたがゆえにヒロヒトの不興を買って、政治プロセスから外されていったが、アメリカ政府当局(知日派の官僚たち)から、日本国内での「穏健派」とみなされ、戦後のヘゲモニーを手中に収めていくグループの自己正当化の道筋は、ほとんど近衛が描いた見取り図と変わらない。

近衛は、ヒロヒトの退位と皇室の存続を分けて考える。そして、政府の戦争責任は対英米戦にのみ限定する(中国、アジア、そして植民地支配責任は考慮の外に置かれる)。その上で、陸軍にすべての責任を押しつける。それが、近衛(そして、大筋において、宮中グループ)の発想だった。彼等のなかでの違いは、ヒロヒト政治責任をどこまで見積もり、その結果、戦後、ヒロヒトに何をさせるか(彼自身が何をするか)、という点。幣原、吉田ら主流の外交官グループはヒロヒトに退位までさせることは、天皇制の弱体化につながると考え、近衛らは、逆に、退位こそが天皇制強化の道筋だと考えた。

宮中グループに人脈を連ねていた海軍、幣原喜重郎の系譜をつぐ外交官僚たち、そして、ヒロヒトの取り巻きたちが、合州国内の反共主義者との「合作」の中で、「戦争」を物語として総括した。「戦後民主主義」の歴史観における、記憶の選別と排除とを問い直すときに、この出発点は、何度でも振り返るに値する。江藤淳のような単純な話(アメリカによって精神改造された日本人)ではないのである。