江藤淳『閉された言語空間 占領軍の検閲と戦後日本』(文春文庫 ISBN:4167366088)

占領軍の検閲という「眼に見えない戦争、思想と文化の殲滅戦」――。江藤によれば、四年間にわたるCCDの検閲が一貫して意図したのは、「「邪悪」な日本と日本人の、思考と言語を通じての改造であり、さらに言えば日本を日本ではない国、ないしは一地域に変え、日本人を日本人以外の何者かにしようという企て」(183)であり、「要するに占領軍当局の目的は、いわば日本人にわれとわが眼を刳り貫かせ、肉眼のかわりに、アメリカ製の義眼を嵌めこむことにあった」。




この発想はほとんど「トンデモ本」に近い。むしろ、「日本人」は洗脳され、日本人ではないものに作り替えられてしまった、という発想を真面目に論証しようとする情念のほうに、かえって胸を打たれてしまう。

だが、「トンデモ本」とは、辛うじて一線を画しているのは、江藤が「資料」と直面し、「資料」を通じて米軍の周到な計画をたどりなおしていく部分のスリリングさによる。興味深いことは、「戦争=後」について、様々な事態を想定し、それに応じた計画を練り上げていた、あるいは練り上げていくだけの意志とそれを可能にする能力を育てていた、官僚組織としての米軍、国務省の組織的な知の力と行動力である。
まあ、それはじつは戦争をする上ではあたりまえのことで、日本軍が、あるいは日本政府があまりにも「戦争=後」のプランを持たなさすぎた、ということでもあるのだけれど。