2005-12-01から1ヶ月間の記事一覧
日本の言説の場において、(未発の/不発の)「1968年問題」を呼び戻そうとする・中心化しようとする動きは、結局過去の自分の振る舞いの肯定にしか見えないのでとても見苦しく、とうてい与する気にはなれないのだけれど、むしろ大事なことは、その後(1970…
笠井潔といい、どうして「学生運動」は言葉を連ねさせるのだろうか。 大人になることを忌避する文化は、この世代の表現者のあちこちに顔を出している。 当時私たちの大学にも姿がないわけではなかった、暴力的手段を厭わず革命を志す結社党派との関わりをも…
こういう証言が真剣に求められ始める、ということは、記憶の整理期であり、どうじに、創作の涸渇期でもある、ということなのでしょう。 「日本のテレビアニメは“動かない”」 業務提携のために来日したディズニーのスタッフが、わが国のアニメーションについ…
特典映像の中のインタビューで、「この映画はNSAを問題化するものではない」という意味のことを言っているトニー・スコットのしらじらしさがよい。タイトルを見たら、誰だって判るでしょう? 『マイノリティ・リポート』と並ぶ、監視社会を物語として政治化…
こういう読み方をすると、東氏の嫌う、いかにも「日本的な」読みなのだろうけれど、本書のタイトルにもなっている「郵便的不安たち」という講演は、やはり恥ずかしい。最初の書物を発表したあとの高揚感に貫かれているのはよいとして、ようするに自分は浅田…
よくよく考えるとやはり嘘くさいのだが、考え抜かれていることは確か。谷崎潤一郎「私」(1921)と並べて論じたい。
徹底的な啓蒙=教育の意志に貫かれつつ、しかも明確な政治性を主張する。『風俗小説論』の中村光夫のような。
@偶然点けたテレビで放映中。設定に無理はあるけれど、そこに目をつぶったら、佳品。