藤田嗣治展 Leonard FOUJITA


@仕事のために必要で手に取った福井晴敏亡国のイージス

亡国のイージス 上 (講談社文庫)

亡国のイージス 上 (講談社文庫)

亡国のイージス 下(講談社文庫)

亡国のイージス 下(講談社文庫)

をめくるページを止めることができず、すっかり遅くなってしまって、
閉館間際になってしまったけれど、国立近代美術館のフジタ展に出かける。


やっぱり現物のライヴ感は違いますね。


とりあえず目的は戦争画のコーナー。塗りたくられた絵の具の質感は、
買ってきたカタログでは、当然ながら、見えませんでした。
そして、どうみても戦意高揚とは見えない、あの絵たち。


日本兵が米兵を殺そうとしている表情は、ほとんど仏画の地獄絵図のよう。
サイパンでの自決を描く絵の中で、くり広げられる惨禍の中、一人無表情に立ちつくす日本兵
フジタの戦争画では、誰が敵で誰が味方なのかもわからず、
どこが顔でどこが地面なのかわからず、
何が死体でどれが意志をもった存在なのかがわからない。


あの陰惨な画面の印象を、当時の軍部はどう受け取ったのか。
現物をかれらは、ほんとうに目にしたのだろうか。


かれは、いろんな実験もやって、いろんな組合わせや取り合わせの妙も
工夫することができて、しかも、器用に歴史的な様式を学び取っている。

でも、そんなふうに、いろんな画風(イラスト風、ポップなものまで)が
こなせてしまうかれだからこそ、最後は「宗教」画に行き着いてしまう。

技術に秀でた者ほど、技術を支える「超越的なもの」を欲する、
というのは、通俗的に過ぎる見方なのでしょうか。