さまざまな「1968年以後」

日本の言説の場において、(未発の/不発の)「1968年問題」を呼び戻そうとする・中心化しようとする動きは、結局過去の自分の振る舞いの肯定にしか見えないのでとても見苦しく、とうてい与する気にはなれないのだけれど、むしろ大事なことは、その後(1970年代)がどのように過ごされたのか、ということではないか。そうであるなら、それは、世界的な問題であろう。
体制に入ったフランスの左派たち。イギリスにおいては、「ニュー・レフト」以後、CSに結実していった者たちが生まれ、日本では、アニメや特撮といったサブ・カルの世界に、ユートピア的な世界観や「大人たち」への不信を書き込んでいった(宮崎駿高畑勲押井守安彦良和富野由悠季)。そして、アメリカにおいては、その帰結が、ネオ・コンに。

磯崎――国家とか社会とか未来といった代理表象を求める基盤かなくなったのだから、その通りかもしれません。ひとつの国家的様式を探すことがありえないことがわかったとすれば、ニヒリズムと言われるのはその通りです。その問題がハイテクや六八年の問題にも絡んでいます。六八年まではモダニズムや近代建築の理論が信用され、社会の生産方式や評価の基準などすべてひとつの方向で流れていました。その次に何が起こるか予測できないとしても、必ず何がが起こるということは信じられていたのです。ところが六八年でそのような運動さえ停止することを僕たちは知らされました。〔略〕もしそのときの気分を正直に思い出すと「未来ははたして来るのか、来ないのかわからない。どんな変貌をしているのか予測なんて不能だ。催かなのは、ここまで流れてきた過去と、今いる現在にすぎない。未来にはその残骸は残っているだろう。痕跡もあるだろう。それ以上の保証はできない。とすれば廃墟だけはある」というものでした。六八年問題はこんな構図を一挙に露わにしました。その挙げ句に、近代がつくり上げた国家、社会、家族、制度、産業のすべてが揺らぎ始める。「世界システム論」を言っているウォーラースティンが一九六八年を一八四八年に比較しながら重要なメルクマールにしているのも同様の理由だと僕は思います。地すべりがこのときに起こり始めたのです。だから異議申し立てに参加した者も、吊るし上がった者も、紅衛兵が攻撃した者も、紅衛兵たち自身も、一切合切が見えない地すべりに巻き込まれたのだと僕は思います。全員が傷ついて挫折しました。それはこのシンポジウムの「戦後/お祭り広場 岡本太郎」のときにしゃべったのですが、挫折したときにどういう状況が起こったかというと、世界を組み立てている根拠が失なわれたということです。〔略〕
九・一一以降ネオコンが注目されているでしょ。ネオコンの出自を辿っていくと、六〇年代末の根拠が消えたと思っている時点に戻っていきます。彼らも僕らと同じような世代ですが、そのときに彼らは力に賭けたんだと思う。力の存在、力の効果に頼ることを選んだ。リヴァイアサンにまで遡り、国際連盟を提唱しながら、でき上がるとこれに参加しないといったかつてのアメリカ外交のやり方を八○年後に復活させる。そして、西部劇のヒーローたちを裏から操る怪物の役をやり始める。それに対して僕は、自我まで分裂しているわけだからこれを信じるわけにいかないと思った、それだけの違いで、世界が無根拠であることが露呈した瞬間を経験している点では同じ地点にいたのです。

(磯崎・鈴木・石山『批評と理論』INAX,2005 ISBN:487275123X