森博嗣『ナバテア None But Air』(中公文庫 ISBN:4122046092)

設定を知らないまま、シリーズ第2作から読むという無謀を冒してしまった。
「僕」と名のる女性パイロットの造形はたしかに魅力的だが、どうせこの人物を活かすのであれば、「僕」の女性性と向き合わせてしまう、という結末はどうかと思った。軍隊的な組織にいるからこそ見えてくるセクシュアリティを描くだけのチャンスはあったと思うのだけれど。

飛行機乗りには独特の世界がある、とはよく聞く話だけれど、以下の引用文は、そんな世界の成り立ちを語ったものだろう。命を張った、きわめてレートの高い技量の競い合い。だからこそ、騎士道的な精神も入りこむし、神話的な物語も生まれてくるのだろう。ただ、それは、プロペラ機時代の話。では、現代のジェット戦闘機では、どうなのか?

飛行機が墜ちていくとき、自分はもう死ぬのだというとき、絶対に、そんな惨めな気持ちにはならない。
 自分を撃ち墜とした奴を恨むことだって、きっとないだろう。
 むしろ、尊敬するかもしれないし、それに、もし恨むものがあるとしたら、自分の未熟さに腹が立つだけだ。もう一度、チャンスがあったら、もう一度人生がやり直せるならば、もっと強いパイロットになって、もっと相手を墜としたい、と願いながら、死んでいくだろう。それが飛行機乗りというものだ。
 勉強をするとき、相手を落ちこぼれにしてやろうと考えているだろうか?商売人は、誰かを貧乏にしてやろうと考えているだろうか?
 そうではなくて、単に自分を磨きたい、と考えているだけではないだろうか。
 ただ、自分が磨けたかどうか、自分が高まったかどうかは、他人と比較しないと判明しない、という測定方法に問題があるだけの話だと思う。これはつまり、飛行機を墜とすと、かなりの確率でパイロットが死んでしまう、というシステムの問題点と考えることができるだろう。
 そのとおり、パイロットは死ぬ必要はない。
 その場その場の勝敗が決すれば、それで良いのだ。
 それでも、一つだけ、重要なことを見落としている。
 命をかける、という行為だ。これが、空中戦の絶対的な力学であり、大前提となる。チェスやスポーツの試合と違う点は、そこにのみある。
 みんな自分のたった一つの命を、飛行機に乗せて、空へ上がってくる。その時点で既に、僕は、敵も味方も、すべてのパイロットを尊敬する。もっともっと上達できるかもしれない、未来にまだまだ可能性がある、そういうパイロットが、運悪く墜ちることがあるだろう。練習というものが事実上できない。一度失敗したら、ゼロになる。ここが、僕たちの仕事の一番の特徴だ。現在では類例がない。滅多にないだろう。