大嶽秀夫『再軍備とナショナリズム 戦後日本の防衛観』(講談社学術文庫 ISBN:4061597388)

朝鮮戦争が引き金となった西ドイツの再軍備とは、対照的であった。すでに述べたように、西ドイツでは、兵舎に最初の一人が入隊するまで、数年間にわたって、国際的、国内的に深刻な対立を生んだが、それがかえって、諸利害、諸見解の調整の過程となり、長期的には、再軍備に一応のコンセンサスを形成する機会となった。ところが、日本では、こうした偽装によって対立を回避したことによって、対立の表面化による調整という機会が失われ、その結果、折にふれて日本の再軍備をめぐる国際的対立が浮上することになった。一九七〇年代初頭の米国やアジア諸国における日本軍国主義復活論はその典型である。
 しかし、のちの日本の防衛政策の展開にとって一層重要なことは、この偽装作戦が国内政治的にはるかに深刻な対立の種を生み出したことである。この意味でこの出発点の「まやかし」は、日本の再軍備のその後の展開を決定的に歪める結果となった。しかも、その後、吉田内閣はその修正を試みるが、結局、失敗に終わるのである。

再軍備」をめぐる論議が、国防政策というシングル・イッシューの問題としてではなく、他のさまざまな思想的な対立の「象徴」となってしまったがゆえに、具体的な政策として、「現実主義的な」防衛構想が自立できなかった(理念的な対立に終始してしまったため、論議そのものが萎縮してしまった)、というのが筆者の主張。

ただ、「再軍備」を、あくまで「政策」のレベルに矮小化してしまったことこそが、本書の問題だとも逆にいえて、「再軍備」をめぐる議論の射程は、「戦争=後」の世界において、どんな「主体」として自己を構想するか、という「夢」を抱えた論議だった、ということに、(政治学ではない)思想的な重みがある。

そして、ほんとうに大事なのは、そうした「夢」に賭けた、「思想」であり、「世界観」なのではないか、というのが、いまの考えなのだが。