高橋呉郎『週刊誌風雲録』(文春新書 ISBN:4166604864)
- 1945 「週刊アサヒ芸能新聞」創刊(11、日東新聞発行)
- 1954 徳間康快、東西芸能出版社設立。「アサヒ芸能新聞」を引き取る
- 1956 「週刊新潮」創刊(2)。「吉田茂回顧録」「眠狂四郎」で50万部を突破
- 1957 「週刊女性」創刊(3,河出書房)
- 1958 「週刊大衆」創刊(4,双葉社)、「週刊明星」創刊(7,集英社)、「週刊実話」創刊(9,実話社)、「女性自身」創刊(12,光文社)
- 1959 「朝日ジャーナル」創刊(3)、「週刊現代」創刊(3,講談社)、「週刊文春」創刊(4,文芸春秋社)、「週刊平凡」創刊(5)、「漫画サンデー」創刊(8)、「週刊コウロン」創刊(10)など。計20誌創刊の「週刊誌ブーム」
- 1960 「週刊明星」、芸能週刊誌に路線変更
- 1963 「女性セブン」創刊(5,小学館)、「ヤングレディ」創刊(9,講談社)
戦後マス・ジャーナリズムの主軸を担った週刊雑誌をめぐる、貴重な同時代史。扇谷正造率いる『週刊朝日』と徳川夢声の対談コーナー、『週刊新潮』の斎藤十一と草柳大蔵、『週刊明星』『週刊文春』における梶山季之の活躍、そして、『女性自身』のマーケット戦略。
編集者(デスク)とライターたち(草柳、梶山、竹中労など)の群像を軸に、わずか数年の間に急速に市場を拡大し、メディアの中心を占めるようになった週刊誌の創世期(本書が触れているのは、実質的には10年にも満たないスパンの時間である)が、生き生きと語られている。
とくに重要なのは、「物書き」の中に、「ライター」という発想が登場した、ということだろう。井上光晴も、種村季弘も、後藤明生も、かつては週刊誌のライターだった。
大宅壮一流にいえば、(梶山季之門下の)岩川(隆)は“文学通り”で、中田(建夫)は“マルクス通り”で、足を止めていた。あるいは、文学青年崩れ、マルクス・ボーイ崩れの失業者といったほうがわかりやすい。それでなくても、就職難の時代だった。大学の文学部を出ると、教師になる以外はマスコミ関係の入社試験を受けるしかなかった。これが難関だから、試験に落ちた“マスコミ浪人”の失業者も多かった。私も、ほとんどそれに近かった。そういう失業者群にとって、相次いで発刊された週刊誌は、失業救済機関のような機能をもっていた。(高橋呉郎『週刊誌風雲録』文春新書、2006:177)