『日本文学』2006年5月号

  • 『日本文学』2006年5月号が届く。専門外だが、水口幹記氏の「奈良時代の言語政策」は興味深く読んだ。
  • よく考えてみれば当たり前なのだが、今も昔も、外国語はさまざまな権力を生み出す。水口氏は、「漢語」と「漢音」とは区別されている、という仮説をもとに、「正しい音」として政権が政治的に確定した「音」をめぐる、当時の学習状況について、ていねいにまとめておられる。
  • 「日本語」の構築性、という話はよく聞くが、統一体としての「日本語」がまだ流動的だった時代を対象とした、こういう研究はほんとうに勉強になるのだった。
  • それにしても、こんどの日文協の発表者の数は尋常ではない。でも、「国語教育部会」の発表者が増えたのは、背景などはまったくわからないけれど、全体としてよい傾向なのではないでしょうか。