堀田善衛『奇妙な青春』(集英社文庫)

 指導者たちが老人に近い年齢であったことに不思議はなかったが、以前に、実際に運動をやったことのある人々は、すべて、昭和二十年現在で三十五、六歳以上で、事務や走り使い(レポ)などをしてくれる若い人たちは、それこそ本当に若い、十九、二十から二十一、二の、運動というものの本当の苦しさ辛さ、そしてそれが同志たち自体のなかででも、顔を逆撫でされるような痛苦をさえ、ときに伴うものだということをまったく知らない、苦い人たちであったのだ。革命運動の、――もし怖ろしさということばを使うことが許されるとするならば――その怖ろしさは、敵から来る弾圧よりも、実にそれは内部分裂や、分派闘争にある筈なのだ。それは敵につけ入るすきを与え、スパイを導き入れもする、そういうことを深く心得た人があまりに少なく、処女のような人ばかりが目に立つのだ。
 三十五、六歳から二十四、五歳までの、肝腎かなめのこの十年間の、中堅というべき人々が、ごそっと抜けていた。はっきりした断層が、そこにあった。そのことに気付いたとき、初江は、つくづく戦争が在ったのだ、と感じた。

@1956年発表。タイトルは、明らかに荒正人『第2の青春』を諷している。


 1946年10月10日、「出獄自由戦士歓迎人民大会」の朝から物語は始まり、
  1947年2月1日、「2・1ゼネスト」中止の指令が各産別に伝達される場面で終わる。
 敗戦直後の左翼運動の盛り上がりを、その跳ね返りぶりに違和感をもちながら
 見つめている人々の視点(元特攻隊崩れ、和平工作に尽力した元枢密顧問官の秘書、
 元国策通信社の管理職、元特高警察)で、堀田は詳細に描き込んでいく。


@その当時のことを知らない僕などは、非転向共産主義者たち=「出獄自由戦士」が

出獄自由戦士といわれるこの人々が、たしかに彼等自身の云うように“特異の存在”であるだけに、
それだけに、革命への道は一層困難であろうと思われた。

 などと、さまざまなコンプレックスを引き寄せるトリック・スター的な存在であったことや、
 「進駐軍」=占領軍に対する観点が、

連合軍は解放軍であるという根本規定は、深く深く滲み込んでいた。それを疑うことは、
日本の全態勢に刃向う、たとえば戦時中に日本の戦争目的を初江が疑い否定したときと同じほどの、
ただならぬ孤立に陥、実にあまりにも重い頭上の石をはねのけようとするのにひとしいことだった。

 とされていたことが、到底想像がつかない。より正確には、情報として聞いてはいるけれど、
 なんだか「本当なのか?」という感が拭えない。
 その意味で、資料としての価値はすごくあると思う。

 だが、これは小説として、どうなのだろう?


 小説のメリットは、その場面場面での人物に即して、まさに等身大の視点から「思想」「社会」を
 語ることが可能なことだ、と僕はいつも考えてきたし、それはたぶん、今後も変わらない。


 だとすれば、こうした堀田の試みは、肯定的に評価されてしかるべきものだろう。
 でも、この作について云えば、なんだか生硬な、作り物めいた「世界」である、という感覚はぬぐえない。


 これは、作者としての堀田の問題なのか。それとも、僕の小説観に問題があるのか。
 

 すこし、じっくりとかんがえてみよう。