高橋呉郎『週刊誌風雲録』(文春新書 ISBN:4166604864)

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坂上弘『優しい碇泊地』(福武書店 ISBN:4828823905)

今は無き文芸誌『海燕』に連載されていた連作中篇(1989-1991)。外国語の教師を企業に派遣するというベンチャーに勤務しながら、将来はMBAをとってやろうと目論んでいる「ぼく」を狂言廻しに、外人教師たちと企業人たちの人間模様が描かれていく。


と書いてはみたものの。時代は残酷だ、という感を深くする。
村上龍の'90年代の作品を読んだあとのようだ。


わずか15年前の作品にしては、「古びかた」「遠ざかり方」が尋常ではない。設定としては、あえて終身雇用を狙わずに、いったん外国語を実務的に習える場所に入って、将来はMBA、という「現実的な」青年が主人公なのだから、じゅうぶん現代にだって生きるはずなのだ。いったいなぜだろうか。


たぶんそれは、この作が、どこかしら「国際化」が未来を彩る素敵な標語に見えていた'80年代の薫りを引きずっているからだろう。そして、「グローバルな競争」などということがさっぱり見えておらず、日本を一歩踏み出せばあちこちに金儲けの話が転がっていると日本中が錯覚していた「バブル」の時代に、荷担はしていないにしても流れに棹さそうとしていた、ということをも意味する。


「社会的なもの」を描く小説は難しい。坂上弘は決して下手な書き手ではないだけに、余計にその感を深くする。

宝生月並能 3月公演

宝生能楽堂http://www.hosho.or.jp/nou/2006_03/tsukinami.html

  1. 「弓八幡」
  2. 「磁石」
  3. 西行桜
  4. 「海人」


宝生能楽堂にて月並能公演。お目当ては最後の「海人」だったが、その前の「西行桜」を観て、不思議な気分にさせられてしまった。

要するに、能の素人のぼくが眠くなってしまっただけなのだけれど、その心地が、どうにも奇妙な感じだった。

西行桜」では、シテもワキも、とくだん大きな動きをするわけでもない(ワキ=西行は、ほとんど座りっぱなしだ)。シテの舞も、似たような所作の単調な反復に見える(わざとワキもシテも、そして笛や鼓もご老体が務めておられる)。それに、低音によるコーラスが重なることで、一種の催眠効果が生じ、まどろみのなかで、独特な雰囲気が作られつつあることが理解される。

夢うつつの状態で、ふと舞台を見上げる。そんな状態が、何度となく繰り返されていくうちに、〈この時〉が、いつとも知れず、ずっと続いてしまうかのような錯覚に襲われるのだ。

不意に訪れた花見客によって、わび住まいを邪魔されてしまった「西行」の歌をめぐって、「西行」と、彼にしか見えていない「花木の精」との内的な対話が始まっていく、という物語は、夜明けとともに、まるで夢から醒めたかのように終わっていく。そんな内容なのだから、ぼくの受容のしかたは、この作にふさわしかったのだ、という言い方は、強弁に過ぎるだろうか。

政治的プレイヤーとしてのヒロヒト

 ところが天皇の側はまったく逆に、朝鮮戦争での米軍の苦境は、ソ連の直接侵略か国内共産主義者の間接侵略による「革命」と「戦争裁判」と天皇制打倒につながるものとみたのである。とすれば、戦争放棄の新憲法のもとにあって、この未曾有の危機を救えるものは米軍以外にないという結論にいたるのは、きわめて自然のなりゆきであった。ここでは、日本の側が米側に対して「弱い立場」に立つ。日本こそが米軍駐留を「希望」「要請」し、基地の「自発的なオフア」に徹しなければならないのである。そしてこれこそが、安保条約の「根本の趣旨」なのである。なかでも「内乱条項」は、その核心に位置するものであった。皮肉な表現を使うならば、ここにこそ、「国体護持」のための安保体制があたらしい「国体」となる契機があったといえるであろう。(豊下楢彦『安保条約の成立――吉田外交と天皇外交――』(岩波新書 ISBN:4004304784 ;210)


@「日米安全保障条約」は、改訂を経た現在に至ってもなお、きわめて「いびつ」な内容をもっている。条約締結の際の実務交渉にあたっていた西村熊雄ですら、実質的には「駐軍協定」でしかない、というくらい、植民地的・従属的な内容である。


@ただし、現在の内容は、当初からの外務省の構想とは違っていた。
条約締結に向けた交渉(講和条約の交渉)の中では、国連憲章51条の枠内で、あくまで「国連」との関係にリンクさせながら、日米が「相互平等」「共同防衛」の関係にある、という条約案が準備されていたのである。

@あくまで冷徹なパワー・ポリティクスの観点に立つとするならば、朝鮮戦争の帰趨が未だ解決せず、中国革命における共産党の勝利が確定しつつあった当時、日本における「基地」は、アメリカ相手に、非常に重要な外交カードたりえた。そのことは、アメリカの側もよく理解していた。
「空想」「夢」と嘲笑される、「非武装中立」「全面講和」という選択肢も、じつは、外務省の中で真剣に討議されていた。そして、米=国務省も、日本側がそうした強気の交渉姿勢で臨んでくることを半ば予想してもいたのだった。
だが、そんな中で、首相兼外相・吉田茂が見せる奇妙なブレと、不可解な譲歩。早期の「独立」を急ぐ余り、マッカーサーの意向に反して、池田勇人に基地提供を「オファ」させ、マッカーサーの激怒を知るや、一点、ダレスとの交渉が始まる前に、再軍備を否定する(そのころマッカーサー自身は「方向転換」していくのだが)。


@しかし、吉田の交渉姿勢の不可解さは、マッカーサーの意図を忖度し、読み違えたから、という話だけではとどまらない。豊下氏が提起するのは、「朝鮮有事」を「天皇制の危機」と読み取った、ヒロヒト(とその側近)による外交への介入である。ヒロヒトは、マッカーサーと吉田という交渉のルートをバイパスし、ジャパン・ロビーを活用しつつ、ダレスとの直截なチャネルを作っていた。そこで、一定の意思表示を行い、吉田にも、それを「下命」したのではないか――それが、資料を読み込んだ上で提示される、氏の仮説である。

@もちろん、これはあくまで仮説にすぎない(というか、そのような資料が宮内庁から公開されるとは思えない)。が、確度の高い説なのではないか。その感を深くさせるのは、「沖縄」を租借地として米軍に提供したい、という主旨の文を述べていたのが他ならぬヒロヒトであり、そして、天皇制温存・存置=「国体」の保持を結果として実現したのは、宮中グループと、国務省親日派の、「国際共産主義の脅威」に対する共通認識であったからだ。

  • 「冷戦」の時代、日本外交は、さまざまなカードを切りうる立場にいた(もちろん、それは、朝鮮や台湾に「争乱」を押しつけ、過去の清算をしなかった結果のことだった)。だが、そのときに、小国として生き抜く術を「考え」たこと、それをすべて忘却してしまったのだった。その「忘却」に、かりに、ヒロヒトがかかわっていたとするならば……。彼の政治的な責任は、戦前のことのみではない。

たちさわぐ偽史たち、あるいは大塚英志『木島日記』『木島日記 乞丐相』(角川文庫)

木島日記 (角川文庫)
木島日記 乞丐相 (角川文庫)

実在の人物・実際の事件に虚構の皮膜をかぶせ、物語を介して世界を浮かび上がらせていく。文庫版『木島日記』の巻末で、大塚じしんが言っているように、虚構言語としての小説のひとつの可能性は「偽史」にある。そして、「偽史」とは言っても、虚構世界の中の論理に整合性があり、制度的に多くの人々に伝えられ信じられていれば、(そして、適度の実証生があれば)それはすでに「歴史」になる。
だから、昭和初年代に物語世界の時間を選んだ大塚の選択は適切だ。時の政府が大がかりな「偽史」を作っていたわけで、そこには、さまざまな「偽史偽史」が、まるで蔦のように、あたりを覆い尽くしていくのだから。


ほんとうは、昭和初年代に大量に書かれた「大衆文学」が、この可能性を追っていたはずなのだ。研究者は、ちゃんと気が付いてはいないようだけれど。

大嶽秀夫『再軍備とナショナリズム 戦後日本の防衛観』(講談社学術文庫 ISBN:4061597388)

朝鮮戦争が引き金となった西ドイツの再軍備とは、対照的であった。すでに述べたように、西ドイツでは、兵舎に最初の一人が入隊するまで、数年間にわたって、国際的、国内的に深刻な対立を生んだが、それがかえって、諸利害、諸見解の調整の過程となり、長期的には、再軍備に一応のコンセンサスを形成する機会となった。ところが、日本では、こうした偽装によって対立を回避したことによって、対立の表面化による調整という機会が失われ、その結果、折にふれて日本の再軍備をめぐる国際的対立が浮上することになった。一九七〇年代初頭の米国やアジア諸国における日本軍国主義復活論はその典型である。
 しかし、のちの日本の防衛政策の展開にとって一層重要なことは、この偽装作戦が国内政治的にはるかに深刻な対立の種を生み出したことである。この意味でこの出発点の「まやかし」は、日本の再軍備のその後の展開を決定的に歪める結果となった。しかも、その後、吉田内閣はその修正を試みるが、結局、失敗に終わるのである。

再軍備」をめぐる論議が、国防政策というシングル・イッシューの問題としてではなく、他のさまざまな思想的な対立の「象徴」となってしまったがゆえに、具体的な政策として、「現実主義的な」防衛構想が自立できなかった(理念的な対立に終始してしまったため、論議そのものが萎縮してしまった)、というのが筆者の主張。

ただ、「再軍備」を、あくまで「政策」のレベルに矮小化してしまったことこそが、本書の問題だとも逆にいえて、「再軍備」をめぐる議論の射程は、「戦争=後」の世界において、どんな「主体」として自己を構想するか、という「夢」を抱えた論議だった、ということに、(政治学ではない)思想的な重みがある。

そして、ほんとうに大事なのは、そうした「夢」に賭けた、「思想」であり、「世界観」なのではないか、というのが、いまの考えなのだが。

江藤淳『閉された言語空間 占領軍の検閲と戦後日本』(文春文庫 ISBN:4167366088)

占領軍の検閲という「眼に見えない戦争、思想と文化の殲滅戦」――。江藤によれば、四年間にわたるCCDの検閲が一貫して意図したのは、「「邪悪」な日本と日本人の、思考と言語を通じての改造であり、さらに言えば日本を日本ではない国、ないしは一地域に変え、日本人を日本人以外の何者かにしようという企て」(183)であり、「要するに占領軍当局の目的は、いわば日本人にわれとわが眼を刳り貫かせ、肉眼のかわりに、アメリカ製の義眼を嵌めこむことにあった」。




この発想はほとんど「トンデモ本」に近い。むしろ、「日本人」は洗脳され、日本人ではないものに作り替えられてしまった、という発想を真面目に論証しようとする情念のほうに、かえって胸を打たれてしまう。

だが、「トンデモ本」とは、辛うじて一線を画しているのは、江藤が「資料」と直面し、「資料」を通じて米軍の周到な計画をたどりなおしていく部分のスリリングさによる。興味深いことは、「戦争=後」について、様々な事態を想定し、それに応じた計画を練り上げていた、あるいは練り上げていくだけの意志とそれを可能にする能力を育てていた、官僚組織としての米軍、国務省の組織的な知の力と行動力である。
まあ、それはじつは戦争をする上ではあたりまえのことで、日本軍が、あるいは日本政府があまりにも「戦争=後」のプランを持たなさすぎた、ということでもあるのだけれど。