深沢七郎『楢山節考』(新潮文庫)

楢山節考 (新潮文庫)

楢山節考 (新潮文庫)


@必要あって、「楢山節考」(『中央公論』1956.11)の何度目かの読み返し。


@考えれば考えるほど、不思議な作。
テクストからは、かなりきれいに歴史性の痕跡がぬぐい去られている。


 わずかに、「天保銭」「浪花節のような」という文言から、
 おそらく明治以降であろう、ということがわかる程度である。


@いってみれば、これは、ひとつの寓話、お伽噺である。
歴史から切断された、「過去」という実験的な、そして、半ば
文化人類学的に「観察」された空間。これは、決して「日本」ではないし、
ましてや、過去の現実でもない、ということを、改めて強く意識させられた。

中村政則『近代日本地主制研究 ――資本主義と地主制――』(東大出版会)

近代日本地主制史研究―資本主義と地主制

近代日本地主制史研究―資本主義と地主制


著者は、戦前日本経済史を読む上で、(門外漢の)僕が最も信頼している書き手の一人。


農業経済をどう捉えるか。それは、日本資本主義論争の大きな係争点であったし、
日本における社会変革の主体性を想定=創造するうえでも非常に重要な問題である。


とくに興味があったのは、昭和恐慌による農村社会の変容。
最終章に紹介されている、長野県浦里村のケースは、とても興味深かった。


1920年代を通じて、都市と農村という対立の顕在化を目の当たりにし、農村「改造」運動が始まる。
その中で、村報が創刊され、図書館がつくられ、多くの文芸書と社会科学書が納められる。


1920年恐慌を経て、農村の生活が苦しくなると、青年層の一部が急進化。
若き「改革派」の村長は、反共・反資本主義、農村の「自力更生」と共同体としての精神的紐帯の強化を
訴え、「農村更生運動」に没頭していく……。


思ったこと。養蚕業が中心で、飯米は外部から買わねばならない小農の村としての浦里村の
第1次大戦による富裕化、戦後恐慌以後の慢性的停滞、世界恐慌による決定的打撃、という歴史的な
プロセスを、同じ長野を舞台に、開国と市場経済への包摂が村にもたらす衝撃を描いた
島崎藤村は、いったいどう見ていたのだろうか、ということ。


「夜明け前」における松方デフレと、同時代の世界恐慌。描出にあたって、何等かの関係はあるのか?

梶井基次郎「のんきな患者」「ある崖上の感情」(『梶井基次郎全集』ちくま文庫版)

梶井基次郎全集 全1巻 (ちくま文庫)

梶井基次郎全集 全1巻 (ちくま文庫)

「のんきな患者」は面白い。不治の病と意識されてしまった結核の周囲に、
さまざまな「物語」と「願い」「祈り」が、ない交ぜになって引き寄せられる。
そのさまを、すこし惚けた感じの関西語の話者が、冷静に(まさにヒューモア)、淡々と
描き取っていく。


宗教は民衆の阿片、というけれど、大事なことは、阿片でも求めずにはいられない人がいる、
っていうことだ、という誰かの言葉を思い出した。

檀一雄 『小説 太宰治』(近代生活社、1955)

神保町小宮山書店にて古本で購入。
太宰のこと、保田のこと、山岸外史のことと、小ネタは満載だけれど、
かんじんのことが書いていない。
この本も、太宰の「かんじんの」時代ではなく、太宰の20代が中心に描かれる。


檀一雄は、満州でいったい何をしていたのだろう。


関係ないけれど、太宰と檀の遊郭がよいの頻度はすごいという印象。
いかに「文壇」とは男性中心主義的か、ということを改めて思い知らされる。
人としてどうなのだろう?

フジタ展、その後


@「偽日記」の古谷利裕さんが、フジタの戦争画について、簡潔ながらも
 見事な批評を書いておられます(5/24付け)。


 技術的な裏付けを踏まえた分析的な議論は、僕がフジタを見たときにうけとってしまった印象に
 対する鋭い批判ともなっており、勝手に「勉強になりました」感に包まれています。







 

堀田善衛『奇妙な青春』(集英社文庫)

 指導者たちが老人に近い年齢であったことに不思議はなかったが、以前に、実際に運動をやったことのある人々は、すべて、昭和二十年現在で三十五、六歳以上で、事務や走り使い(レポ)などをしてくれる若い人たちは、それこそ本当に若い、十九、二十から二十一、二の、運動というものの本当の苦しさ辛さ、そしてそれが同志たち自体のなかででも、顔を逆撫でされるような痛苦をさえ、ときに伴うものだということをまったく知らない、苦い人たちであったのだ。革命運動の、――もし怖ろしさということばを使うことが許されるとするならば――その怖ろしさは、敵から来る弾圧よりも、実にそれは内部分裂や、分派闘争にある筈なのだ。それは敵につけ入るすきを与え、スパイを導き入れもする、そういうことを深く心得た人があまりに少なく、処女のような人ばかりが目に立つのだ。
 三十五、六歳から二十四、五歳までの、肝腎かなめのこの十年間の、中堅というべき人々が、ごそっと抜けていた。はっきりした断層が、そこにあった。そのことに気付いたとき、初江は、つくづく戦争が在ったのだ、と感じた。

@1956年発表。タイトルは、明らかに荒正人『第2の青春』を諷している。


 1946年10月10日、「出獄自由戦士歓迎人民大会」の朝から物語は始まり、
  1947年2月1日、「2・1ゼネスト」中止の指令が各産別に伝達される場面で終わる。
 敗戦直後の左翼運動の盛り上がりを、その跳ね返りぶりに違和感をもちながら
 見つめている人々の視点(元特攻隊崩れ、和平工作に尽力した元枢密顧問官の秘書、
 元国策通信社の管理職、元特高警察)で、堀田は詳細に描き込んでいく。


@その当時のことを知らない僕などは、非転向共産主義者たち=「出獄自由戦士」が

出獄自由戦士といわれるこの人々が、たしかに彼等自身の云うように“特異の存在”であるだけに、
それだけに、革命への道は一層困難であろうと思われた。

 などと、さまざまなコンプレックスを引き寄せるトリック・スター的な存在であったことや、
 「進駐軍」=占領軍に対する観点が、

連合軍は解放軍であるという根本規定は、深く深く滲み込んでいた。それを疑うことは、
日本の全態勢に刃向う、たとえば戦時中に日本の戦争目的を初江が疑い否定したときと同じほどの、
ただならぬ孤立に陥、実にあまりにも重い頭上の石をはねのけようとするのにひとしいことだった。

 とされていたことが、到底想像がつかない。より正確には、情報として聞いてはいるけれど、
 なんだか「本当なのか?」という感が拭えない。
 その意味で、資料としての価値はすごくあると思う。

 だが、これは小説として、どうなのだろう?


 小説のメリットは、その場面場面での人物に即して、まさに等身大の視点から「思想」「社会」を
 語ることが可能なことだ、と僕はいつも考えてきたし、それはたぶん、今後も変わらない。


 だとすれば、こうした堀田の試みは、肯定的に評価されてしかるべきものだろう。
 でも、この作について云えば、なんだか生硬な、作り物めいた「世界」である、という感覚はぬぐえない。


 これは、作者としての堀田の問題なのか。それとも、僕の小説観に問題があるのか。
 

 すこし、じっくりとかんがえてみよう。

新城郁夫『沖縄文学という企て』(インパクト出版会)

沖縄文学という企て―葛藤する言語・身体・記憶

沖縄文学という企て―葛藤する言語・身体・記憶


 日本文学という閉塞領域に風穴をあけるための役回りなどでは全くない沖縄文学を夢想する
ためにも、そして同時に、記号化された沖縄の共同化に抗う新たな生の運動の形式たり得る沖
縄文学を夢想するためにも、今、私たちの前に開かれつつある言葉に向き合う以外に手だては
ないと思う。日本と沖縄を巡る見慣れた共犯関係の網目を断ち切っていく手始めの作業として、
ひとまずは沖縄文学という迂回路が見出され読みとどけられなければならない。そして、いつ
かその迂回路さえもが解体されるためにも、いま、沖縄文学という企てが夢想される必要があ
るだろう。その夢想の夢想にむけて、この本のなかの言葉がなんらかの実践たり得ていること
を願っている。(はじめに)

@わたしが思うに、本書は、21世紀初頭の文学批評にとって、最も重要な達成の一つである。
 沖縄を表象として馴致し去ろうとするメディア、「日本近代文学」、あるいは研究者たちの姿勢に
 あらがい、沖縄の「現在」を、どうにかことばとして書き抜こうと試行錯誤する書き手たちの営みを、
 ときに怒りをにじませつつ、ときにことばの流れに寄り添いながら、あくまで肯定していく。
 もっとも正しい意味で「未来」への希望をにじませた批評になっていると見た。


 「沖縄という土地が、様々な物語をうみだす豊饒な場であるといった話は、ほとんど根拠のない
  嘘のように思える。むしろ、物語を容易に書き得ぬという地点から、逆に物語に対する批評的な
  営為を選び取らねばならないところに、現在の沖縄文学の困難とそして可能性がある」262


@わたしとしては、とくに、この書物にまとめられた「文芸時評」に注目をしたい。
 時評家としての新城氏の、押さえ所の適切さと作に対する誠実な姿勢とには、ほんとうに感銘を受けたのだった。


 こんな時評家が読んで、そして適切な一言を書いてくれるというだけで、
 書き手のモティヴェーションはぜんぜん違ってくるのだろうな。